去年9月の東京支部会合で、夏季の夜間、関東平野に出現する低気圧性循環についてご紹介したところ、「それは『原田渦』と呼ばれている現象だ」とのご教示を頂きました。そこで、過去の研究論文をレビューしてみたので、その内容をご紹介します。
1)「真夏の関東トワイライトゾーン」の再放送------------------------------------------------------
去年9月21日の第21回東京支部会合・話題提供「真夏の関東トワイライトゾーン 〜夜な夜なうろつく低気圧〜」で、夏季の関東の夜間に出現するメソスケールの低気圧性循環について紹介した。
◆事例1……2001年7月13〜14日
この事例では、20時頃に東京〜埼玉都県境に発生した低気圧性循環が停滞後、0時過ぎから北東進して明け方に消滅した。
この時の午前0時の気温分布を見ると、東京都心のヒートアイランドが北東(東京・埼玉・千葉都県境方向)に伸びている。この形状は、低気圧性循環の発生・移動場所と重なっているように見え、発生や移動に
「海風フロントのシアライン」と「地上の高温域」が関連している可能性が考えられる。
◆事例2……2002年7月31日〜8月1日
この事例では、18時には群馬南部に低気圧性循環が認められた。その後、夜半にかけて埼玉北西部へ南東進し、明け方に千葉北西部で消滅した。注目されるのは、埼玉付近で、中心付近ではほぼ無風なのに、周辺部で中心に吹き込むような風系が見られた点である。
◆事例3……2002年8月6〜7日
この事例では、群馬南部から埼玉〜東京を通って、東京湾まで南東進した。特に東京湾での循環の集中化が特徴的であった。
1-1 総観場の考察
◆2002年7月31日21時地上
・サブHの中心は日本の南東海上
・リッジがサブH〜九州方面に延び、「クジラの尾型」を形成
・前線が北海道南部を北西〜南東に
◆2002年8月6日21時地上
・サブHの中心は関東南海上
・前線は東北北部に停滞
いずれも関東の一般風場は「南系」であった。
1-2 低気圧性循環の特徴
この低気圧性循環については、次のような特徴が見られる。
◆夜になってから出現 ◆明瞭な低気圧性循環 ◆関東を南東進 ◆早朝には不明瞭化
2)「Harada渦」研究の系譜------------------------------------------------------------------------
前回の話題提供の際、この低気圧性循環は原田氏によって1970年代に検出され、「Harada渦」と呼ばれていることをご教示頂いた。そこでこの「Harada渦」研究の系譜を振り返ってみた。
原田 朗氏は、1975年8月1〜6日に行なわれた「南関東大気環境気象調査」の観測結果から、関東地方に夜間、低気圧性の回転方向をもつ「うず」がしばしば出現することを見出した。
この時の実測データを正方格子(12.8km)に内挿すると、関東平野東部や南部には2〜4m/s
の南西風系が卓越しているが、関東平野北西部に、1m/s 前後の弱風ながら明瞭な渦が形成されている。(右:原田 朗(1988)・図10)
渦の移動をたどると、発生後、東へ移動する傾向が見られる。
地上渦中心から30km以内の、渦度と発散の平均値の高度・時間断面で渦の鉛直構造を見ると、次のような特徴があることが分かった。
*上空には地上より顕著な渦
*渦の最下部で5×10^-5[s^-1] の収束
*渦度大の領域に2〜5×10^-5[s^-1] の発散域
→下層の収束による上昇流を中心部に伴う「二次循環」を
内蔵
→下層から上層への物質・物理量の輸送機能を持つ
「Harada渦」の性質は次のようにまとめられる。
a)晴天で地上気圧傾度の弱い時、夜間に、関東平野の西部で発生する
b)いったん発生すると、約10km/hの速度で北東から南東の間の方向に移動する
c)現象の寿命は数時間から10時間を超える範囲である
d)水平規模は 100kmかそれ以下で、鉛直には1000mくらいである
e)風は下層で収束、その上で発散する最大渦度は3×10^-4[s^-1]くらいである
f)春・夏・秋に発生
3)数値シミュレーションによる渦------------------------------------------------------------------
Harada渦の報告を受けて、木村富士男氏は1984年発表の論文で、数値シミュレーションでこの渦の再現を行なった。
シミュレーションの設定条件は次の通りである。
*領域:中部山岳地帯を含む関東
→水平領域450×450km・鉛直間隔15km・水平格子30×30km
*温位:3.5℃/kmの一定傾度分布
*地衡風:南西3m/s
*10時から計算開始
上記の条件で24時間の数値積分を行なった結果、0時の地表面25mの流れの場において明瞭な渦が形成された。(右:Kimura,
F.,1986・Fig.5)
このシミュレーション渦の挙動を、一般風が南西3m/s・南西5m/s・西3m/s・なしの3つの場合について調べた。その結果、
・日中……熱的局地風卓越
・21時頃…妙義山付近に強い収束点
→東へ移動・正過度強化
・0時……完全な渦に → ゆっくり東へ移動
・朝………消滅
という、観測実例と極めてよく似た挙動が再現された。
また、シミュレーション渦中心から半径30km内の平均渦度の時間−鉛直断面を求めると、
・OOLSTを中心に高度300m付近で最も強い渦度
・最大渦度は、約2×10^-4[S^-1]
・渦はおよそ1kmの高さまで大きくなる
・時間とともに高度低下の傾向
との結果が得られた。これも実際の観測とよい一致を示している。
4)簡略モデル地形による渦発生メカニズム----------------------------------------------------------
この渦の発生メカニズムを探るために、木村氏はガウシアンに従った山と、その東側山腹にクレータを置いたモデル地形を設定し、シミュレーションを行なった。これは中部山岳と関東平野の関係をモデル化したものである。
このモデル地形で「クレータあり・一般風がない」条件下の0000LSTの地上風をシミュレートすると、Harada渦に相当する渦が、クレータ内にはっきりと形成される。
(右:Kimura, F.,1986・Fig.11)
この渦の形成過程は次のようなものである。
1.山風が山岳斜面全体に出現
2.山の頂上付近に強い発散が出現
3.山の周りには反時計回りの循環
→日中、山上に発達した熱的低気圧の名残り
→この循環は渦の形成に非常に重要
4.渦の発現
数値積分を日没後から始めると渦は形成されない。またクレータがない場合、数値積分を朝から始めても渦は形成されない。このことから、クレータの存在が渦の形成に不可欠であることが分かる。
鉛直分布を見ると、正渦度が高度 800mまで伸びているが、大きな正渦度は最下層の 500mに出現している。
また「西3m/s の一般風」を与えると、渦は一般風がない時よりも顕著で、ゆっくりと東へ移動する結果が得られた。
クレータありのモデル地形で、地表の渦度分布を追うと、
*日中……渦度は山の上に蓄積、メソ循環(熱的低気圧)を形成
*夕方早い時間(18-21)……渦度最大
*その後、山頂の周りから発散流が現れ、渦度は急速に減少
*0000LST……ほぼゼロに・山の麓には高い渦度残存
高渦度域にクレータがある場合、渦度はクレータによってさらに強化され、そこに渦を形成することが分かった。
以上の形成メカニズムをまとめると、次のようになる。
◆ステージ1(日中)
・熱的局地風(anabatic風)が山に発達
・コリオリ力によって渦度が蓄積
・この風系は地形には依存しないので、クレータは重要ではない
◆ステージ2(夕方)
・高い渦度を持った空気がKatabatic風によって下降
・山の中央部の渦度は発散流によって減少
→結果、比較的高い渦度が山裾の周囲に発現
◆ステージ3(深夜)
・比較的成層状態になり地上風が地形に沿うようになる
・クレータを囲む斜面で、斜面下降風が高い渦度を集積して渦を形成
さらに一般風の効果を考えると
◆a)一般風で渦度が風下に輸送
→この効果は、地表摩擦が小さくなる夕方に顕著に
◆b)一般風の鉛直シアと山の局地収束との相互作用
◆c)夕方の一般風の総合的効果
・最大渦度は山の風下側の右側に生じる
・山の東側にクレータがあれば、南西風が渦を最も強める
5)北海道に発生する渦----------------------------------------------------------------------------
5-1 北海道を対象にした数値シミュレーション
ところで以上のシミュレーション結果から、ガウシアンに近い形状の大きい山塊と、山腹にえぐられたような地形があるところでは、Harada渦に似た渦が形成されることが予想される。
そこで北海道を対象に「一般風なし」条件で地上風シミュレーションを行なった結果、「留萌沖」「網走沖」「十勝沖」の3カ所に渦の形成が見られた。(右:Kimura,
F.,1986・Fig.20)特に十勝沖の渦が海岸に最も近い位置に発生し、風速も最も強いものになることが予想された。
また「穏やかな西の一般風」を仮定したシミュレーションでは、
・留萌沖の渦は消滅
・網走沖の渦は西へずれる
・十勝沖の渦はほぼ同じ位置でより強いものに
という結果が得られた。
5-2 観測例
北海道が高気圧下でよく晴れた夜間、地上風が静穏か非常に弱い南西風である時、「十勝沖」渦の北半分を認めることができる。木村論文では、1980年9月9日2200JSTの
AMeDas地上風分布で、十勝地方沿岸部に低気圧性循環が認められる例を示している。
渡辺が、同じような総観場の条件の日について調べたところ、似たような低気圧性循環は、例えば2001年7月15日、7月26日、9月3日にも発生しているようで、いずれも十勝平野で発生し、南東に移動して十勝沖に出るような挙動が認められた。
<参考文献>
Kimura, F.,1986:Formation Mechanism of Nocturnal Mesoscale Vortex in
Kanto Plain. J. Meteor.
Soc. Japan,64,857-870
木村富士男(1988):局地循環の数値シミュレーション.気象研究ノート,163,39-60
原田 朗(1988):関東地方の局地循環(1).気象研究ノート,163,61-73 |